2015/10/25

帰国報告とこれからについて

緊急報告です。

先日、Facebookでも帰国はあと半年後だと言ってましたが嘘つきました。
1月16日、日本に帰ります。
どうぞ罵って下さい。

別に大した理由はありません、帰りたくなったから帰る。ただそれだけです。
帰る場所がある。素晴らしい事だと思います。

本来の予定では、ネパールの広大なヒマラヤを前にこの旅を振り返り涙し、混沌としたインドでブッダのごとく出家、スリランカのシーギリヤロックから7回転がって8回起きようかな。

なんて考えていましたが、また今度にします。

っていっても来年中にはまた行きますが。
また行くんかい!と、ここでも罵ってもらって結構です。

一度、リセットするというか整理する期間に入る。そんな感じなので。

あとは帰国まで、死ぬほどノンビリして廃人になって帰ってやる!と決めてチケットを取りました。

皆さん、今年の年末年始をセブ島で過ごしませんか?

あーでも嫌だなー、寒い日本に帰るのは。
だから帰国を初夏にしてたのに〜なんてゴネるのも無理ないんです。

だって、サンダルしかもってないですもん。
アロハシャツばっかやし。ってな具合でボケボケで帰りたいと思います。

皆様宜しくです。



振り返ってですか?

旅に関しては、あーもう満足したなーって感情と、やり残した事ばっかやなー。
そんな心境です。

日本を出て2年7ヶ月になる予定です。
よくもまぁそんなに出れたな。自分でもそう思います。

その期間述べ何カ国でしょうか?
えー数えるのも面倒くさくなったので知りませんが数十カ国になると思われます。

色んな国に行き、色んな場所を訪れ、色んな人に出逢い、色んなものを食べ、色んなモノを見て、色んな事を学んで、色んな事を体験して、色んな事を知った。

僕の喜怒哀楽のバロメーターをぶっ壊すほど、世界はワンダーランドだったよ。

何もせずダラけた日々も多い、感動に疎くなってた日々も多い、他人に迷惑をかけることも、腹黒く妬ましい自分も、海外にいるのに挑戦を怖れた不甲斐ない自分も、人として未熟な部分も沢山見えたけど、ゆっくりと呑み込んで行くには素晴らしい環境だったとも思う。

世界に育てられた。

そんな気がしますね。


それでも世界に対して思う事は、何も知らないということ。

その国の一部を掻い摘んだだけ。結局はただの旅行者。

体験した素晴らしい数々は話せるけれど、その国の事を話す言葉は持ち合わせていない。

そればっかりは長年住んでみないと分からないから諦める事にしよう。

ネットや文献だけで国を語る頭でっかちにはなりたくないし。


なーんかまた話がかたくなってきたな〜。
態度だけじゃなく、アタマもふにゃふにゃにならんもんかね。って!!


まー、知ってもらいたいのはー、、、(はぁ今度は軽くなりすぎる、、、)

とにかく知ってもらいたいのは、当たり前のことですけど、それでも世界中のどこでだって人々が生活してるってこと。

世界の絶景とされる地球がくれた素晴らしい景色もそうだけど、僕は沢山の国の人々の生活を少しでも見れたこと、それが本当に良かったと思ってます。



ここから先は僕の考え方、そしてこれからの生き方に関してです。
そこに興味ある人だけ読んで下さい。
いくぶんうっとおしくて長いので。
まぁ読んで損はないと思うけど。(これがすでにうっとおしい!!!)


そもそも誰が決めたか分からん生活の水準、それが日本より低い国は山程あります。

医療の発達、教育制度、環境対策、人に対する国の支援、様々でしょう。

アフリカでの飢餓、水不足、物資不足。
世界中での数々の難民、戦争孤児。民族間での争い。

そういう所まで見れてないので何とも言えませんが、僕が行った日本より低いとされてる国で、生きて行くのに最低限必要なものは全て揃っていると思いました。

人々の生活も上から下を見れば様々ですが、それはどこの国でも同じこと。

そこに住む人々は本当は、豊かとされる先進国のような暮らしを求めているのかもしれませんが、、、生きるのに分かりやすい、お金を沢山持ってるから。

お金さえあれば幸せになれる。
そう思ってる人も沢山いるでしょう。

それは本当によくないお金の罠だと思います。それに関しては金は悪だとさえ感じます。

それでも、金を持ってる外国人だからという理由ではなく、単純な人への思いやり、家族への愛、自然への感謝。

そういうものをそこで住む人々を見て感じることは数え切れないほどありました。

それこそが心の豊かさなんじゃないかと思います。


生活の水準をあげる為に次々と便利なものが発明される。
それを持つことが豊かとされる。
この物資社会でいつの間にか暴発した物資欲を満たすことで幸せだと感じること。

それを否定する気もありません。

だってそれも、人間といえば人間。間違いではないと思います。

ただ僕は、そうはありたくないと心から思います。


昔なんかの番組で、好きな果物ランキング〜!って全国で統計を取ったのをやってて、僕は1位は余裕でミカンだと思ったんですよ。
そしたら、1位はバナナ、2位がイチゴ、3位がミカンだったんです。
その前の年まではずっとミカンだったらしいです。
なんで不動のはずだったミカンが3位になったかというと、
『指が汚れないから〜!』だそうです。
ツケ爪やネイルが汚れるのが嫌なんですと。
そん時、若かりし僕がなんて思ったかはここでは言えませんね。

そんな事を今ふと思い出しました。

なんの話かって??

そのぐらいから僕の生き方に変化が生じてきたって話です。

好きな理由が、美味しいじゃないんですよ。

もう本質がズレてますよね。

僕はそんな生き方がしたくないんです!

しまった!
まさかそんなランキングごときで熱くなるなんて、、、自分もまだまだですね。

反省します。



本質ってとこまで来ましたね。
やっと本題までやって来ましたね。
ここからまだ長いので覚悟して下さい。
因みに今読むのを辞めるのはもったいないぞーーー!!


旅に出る前ぐらいからですね、僕の考え方や生き方はコロッと変わりました。

というより、忘れていた本来の自分に戻ったという感じです。

僕もこの社会というものに従順になるにつれ知らずのうちに自分を見失っていってたんですね。

人の中にはそれを、成長した!大人になった!社会のことがよく分かってきたな!会社の為によく頑張ってる!立派になったわね〜!なんて感じで言うんでしょうね。

人間は勘違いしやすく、単純なもんです。

褒められれば、それが正しいと思い込むんだと思います。

まぁある種、洗脳ですよ。

例えるなら、進学校と一緒ですね。
頭が良かった為に進学校に入る。そのまま気が付けば理系か文系かでクラスが分けられ、受験して大学へいくのが当たり前だという空気になる。べつにどこの大学に入りたいかも、どこの学部に入りたいかも、ましてや何がしたいのかもわかってないのに大学に入る。そしてその流れで次は就職する。
それがあたかも当たり前のように日本の社会も教育機関も先生も周りの人々も、ましてや親までもその空気を作ってきたりしますよね。

僕の場合は周りが全然それとは違いましたが、一応関関同立とか行くような学校行ってたんで分かるんですよ。

相当不真面目でしたけどね!!

まぁけど、考え方が生きてる環境で変わるのは当たり前だし凄くいいと思う。

ただ自分という人間の本質を押し殺して、いつの間にか忘れてしまうことは変わったというのとは違うと思います。

それが社会だ!!という人とは僕みたいな人間は甘ちゃん扱いだろうし、いつまでたっても平行線なんでこの話はやめましょう。


なんか社会に対して卑屈になってしまいましたね、すいません、話を戻します。


旅に出る前から、勝手に僕はもう日本は終わりだな。そう思っていました。

終わりというのは、今がもう最高潮だなってことです。

今の水準を衰退することはないけれど、これ以上上がることはないなって。

単純に余力がないんですよ。

人にしても、時間にしても、国にしてもです。

小さな島国ですからね、よく頑張ったもんです。

本当に先人達には頭が上がりません。そこには感謝しかありません。

けど、先人達の努力はいつの間にか、モノや金や地位といったような、

大切なものは【目に見えるもの】へと移り変わったんだと思います。

僕は違うんじゃないかと、その時から感じるようになりました。

大切なものは【目に見えないもの】だと。


LOVE&PIECEとはよくいったもんです。

それが全てだと思います。

自己への愛、他者に対する愛、生き物に対する愛、モノに対する愛、自然に対する愛。

そこから平和が生まれるんだと思います。

そこに、あとは感謝ですね。

神霊国家だった日本も全てのモノに神が宿るとしていたのも感謝からでしょう。


余談ですけど、僕がインディアンやアイヌの人々を素晴らしいと思うのも、この生き方の精神が素晴らしいからです。



そういう考えや生き方も旅に出る前は思っただけでまだまだブレブレだったけど、世界を通して学びながら確固たる自分は築けたと最近思うことができるようになりました。

何気ない出来事に感動できるようになったからだと思います。

都会には退屈な毎日を刺激してくれるものが腐る程あります。

欲求を満たすものがいつも簡単に手に入る。

たいていのものはお金と時間とを引き換えにですよね。

僕はこれを、国家的集団ドラッグ中毒だと思ってます。

麻薬などのドラッグは法で裁かれてるけど、こっちは国家が推進してるでしょう?

国の繁栄のために。

最終的には必要なかったはずの無駄な電力の為に、原発が造られる事態になりましたね。

いつどこで、どのように原発が造られていたのか。

それを知る由はありませんでした。

むしろ、今度どこどこに原発造りまーす!なんて大々的に報道されてたとして、多分一切の興味を示さなかったと思います。

繁栄して豊かになって便利になって幸せだと勘違いしてる一方で、人は大切なものを失っていったんじゃないかと思ってるわけです。

危険なのは【無関心】であることですね。

原発爆発しましたよ?

知ってますよね?

今現在、未だにそれに恐怖して生活してる人はいますか??

ほとんどの人が、気に留めてるだけで無関心なんじゃないですか。

まだ少なからずも支援をしてる友達達が僕にはいます。

立派なことです。心から尊敬してます。

その他にも沢山の人達が支援したと思います。

けどね、今現在前と変わらず普段通りいきてるならそれは僕に言わせりゃ無関心なのと一緒だと思うわけです。

支援してること=関心がある。

ってことにはならないと思っています。


ドイツに行った時、至る所に風車電力がありました。

本当に多いんです。興味がなくても興味が湧くぐらい。

僕がお世話になったドイツの家族は、昔原発デモに参加して闘ったことがある人達でした。

その頃のことがドキュメンタリー映画になるぐらい、多大なる功績だったらしいです。

ヨーロッパでも原発といえばチェルノブイリが有名ですね。

そもそもチェルノブイリ自体知らないなら調べてみてください。

そこから何年たつんでしょうね?

約30年です。

それなのに未だにドイツの土壌で放射濃度を越えた作物がとれたりするらしいですよ。

キノコ類とかは特に。


その人達は、今も食やエネルギーのことを考えてました。

より良い生活の為に。


日本もあの地震で起きた津波、原発事故も悲惨なものでした。

けど少なからず、時代の移り変わる節目としては大きな意味をもったと思います。

もちろん僕にとってはより。

大切なものはなんなのか?

これからどう生きていくべきなのか?


僕のその答えが簡単に言えば、【目に見えないものを大切にする】だったという事です。



まだまだこれからどういう所で、どういう形でそれを成していけるかは思案中。

それでもどういう生活がしたい、どういう生き方がしたいかってのは決まってる。



自然の中で自然と育み自然と寄り添って自然に感謝して生きる。

必要なモノを必要な時に、必要な分だけ。

人やモノを心から大切にする。

太陽の温もりに。雨の憂いに。大地の恵みに日々感謝する。

それによって出来たご飯を美味しと思える。

そのありとあらゆる至る所に、日々の刺激はあるんじゃないかと思います。

僕はそういう生き方をしたいし、そういう人間でありたい。

僕が思う、【人が人らしく生きる】ということを、ただゆるやかに。

もっとも大切な『家族』という形で。

そんな感じで生きたいなぁと思ってます。


こんなん言ってると農業でもやるんかと言われそうですが、今の所それはないですね。

家庭菜園ぐらいの規模ならやりますけど。

僕は一応美容師、、、なんか呼び方とかどうでもいいんやけど、この美容師ってのほんまダサいっていうかむず痒い!

あー!嫌!!

ここでは総称で美容師と言いますが僕のことは美容師と呼ばないよう、たのんます!w

嫌いなんすわ、美容師!!w

美をつくるってのがなんとも気に食わん。なんかえらそうやし。

なんぼのもんやねん!!って思ってまう。自分も美容師やのにね。w

いや、何回も言いますけど呼び方なんてほんまどーでもえーんですけどね!

まぁどちらにせよ僕の美容師観を話すのは自分の店持った時にしますわ。

ここで今言えるなら、"美容師として" っていうより "人として" 髪を切ることでなんやお手伝いできたらと思います。

ただそれだけの場所にしたない。

"髪を切る場所"ではなく"髪も切れる場所"

そんな感じが理想です。


なんにせよ語る前に店作れよって話ですもんね。

いつになるか分かりませんが、ゆっくりだけど素早く確実に自分達のペースでそんな場所を見つけてやりたいと思います。

日本全国、北海道から沖縄まで!(嘘!西日本がいい!北海道はOKかな?)から探したいと思います。

理想の形で出来るなら海外だでもいいです。

寒いとこが嫌いで海が好きです。けど山も好きです。


ただ、好きな人と好きな場所で好きな事をやる。

それができるならどこだっていいって事です。




あー長くなっちまったなぁ。
こんなん文章でいうの本当は嫌なんです。
文章って一方的ですもん。相手の事見えてないでつらつら言いたい事いうだけですもんね。
つまんないなーとか反感持ったりしてたらごめんなさい!
僕の事は無視してもらって大丈夫です。


それでももし少なからず同じような生き方を望む人はいたら、どんな形であれ共に生きたいと心から願います。


それと、
最後お願いみたいになりますけれど、もしこれ最後まで読んでくれてなんか生き方に共感してくれて僕らのやる事楽しみにしてる!って素晴らしい人で、素敵な場所知ってる人いたら教えて下さい。

私の近所めっちゃいいよ!とか、近所にいい物件あったよ!とか、私の県にはこんな素敵なとこあるよ!とかの地元自慢とか、実家売ったるよー!とか?w 俺土地買って店も作ったるよ!とか?w

まぁなんかあれば教えて頂ければ幸いです。


あっ、因みにタイで毎日暇な為、画像の様な《FUKURO》作ってます。
フクロウってね、日本では「不苦労」「福郎」「福来」って言われてて、幸せを運んで来る鳥とされてるんですよ。

アイヌでは最高の神様と崇められてるし、日本でも縁が深いんです。

それを一つ一つの網目ごとに神が宿り幸運が舞い込んでくるように編んでます。

誰にあげるかはしりませんけどね!!

これを見てくれた人達の今日がまた幸せでありますように。

願いを込めて終わりたいと思います。




2015/10/19

自分といふもの。

久しぶりの投稿です。

読んでいてくれる人が少なからずいるならそれもまたよく、いなくても全然構わない。
そんな心境で綴りたいと思います。

今僕はタイ北部のパーイという町にいます。
これでタイにくるのは人生4度目になりました。
本当に素晴らしい国です。
その中で更に世界を旅してきて、今タイで感じることは明らかに今までとは違っていました。
なんだか、自分らしくいれる。そんな感じです。

そして今朝、ふと思ったんです。いや感じたの方が正しいな。

パーイ川が目の前に悠々と流れ、その傍らで牛が草を食ってる。そしてその向こうには緑豊かな山々がある。
そんな景色が泊まってるコテージからみえる場所で僕は昨晩の残りのパッタイを朝食代わりに食べていた。
素晴らしい景色やけど、なんちゃない風景。世界の至る所でも見てきたし、それ以上に凄いところなんていくらでもある。
ただ、言葉にするのはむずかしいんやけど大袈裟ではなくその時ほんの数分、まるで自然が生きてるように語りかけそれを僕自身が五感で心から受け止められる。そんな時間があった。

川のせせらぎも、太陽が反射するきらびやかな水面も、鳥の鳴く声も、風と緑の戯れも、部屋から聞こえてくる彼女のウクレレの音も。

それを素直に幸せだな。って心から思った。

そして驚いた。

人生でこれほどまでに心から思った記憶がなかったからだ。


日本という国に生きていて不自由じゃないのに不自由だと思い、幸せなのに幸せじゃないと思い、それを他人や社会のせいにしてる。

やりたいことがあるのにやらなければならないことがあると、それを言い訳にのらりくらりと時間だけが過ぎてく。

流行りやマスメディアにいいように流され、他人の目ばかりを気にして自分を失っていく。

そういう社会性のおかげで今の日本の地位が確立された部分はあるだろう。そこにはある種の感謝はするし、そこから逃げ出したいと思わせてくれることにもありがたいと思う。

だから僕は生まれた。

そしてそう、そこから逃げ出したかった。

そこにある矛盾の中に僕の幸せは決してないとどっかでいつも感じていたからだ。

それが幸せと感じる僕の感覚を鈍らせていたんだろうと思う。

世界を旅したいという小さい頃からやりたかったこと、それをできてる今、親や環境や自分にただただ感謝する。

けど最終的には自分の意志しかない。


それでも旅は幸せや楽しいことばかりではない。

自分という人間がわからず苦悩する日々だってあったし、昔の自分はこんな感じじゃなかったと後悔することも沢山あった。

きっと日本で創られた自分と、本当に求めてる自分とがわからなくなっていたんだと思う。

少なからず邪念を持って旅に出たし、そのせいで自分を見失っていただけ。

ただその度に少しずつ少しずつ、いらない自分を削ぎ落としていってたんだなぁと今にして思う。


旅で何か変わった?何か得た?

素晴らしい景色に出会えたし、気の合う友達もいっぱい出来た。
ただこと自分のことになると、そんなんやってる本人からしたら全然わからん。
けど今朝のふとした出来事のお陰で、あぁ旅に出てよかったなぁって思う。


日本を出て2年半。長いっちゃ長いし短いっちゃ短い。

まだ予定ではあと半年続くけど、もっともっと自分らしくなれたらと思う。


僕の出来る事はちっぽけだけど、やりたい事もちっぽけ。

注目されたいとも思わなくなったし、凄いとも言われようとは思わない。

何が正しい何が間違ってるっていうのも人それぞれだし、ただ自分に正直でいたい。

手を伸ばして得る幸せじゃなく、目の前に転がってるような手の届く範囲の幸せを掴みたい。

ただ自分の生の為に。

その為に必要なものなんて今ほとんど持ってるんだから。

心のままに生きれる事を願う。









2015/08/23

僕の「夢」と「幸せ」の価値観。

なーんか旅ブログめんどくさくなったので、
今回からはなんとなーく思った事を書く事にします。
感じた事を書く方がらしいなと思ったので。

そんな僕は今世界を旅して回ってるんですよ。
それがガキの頃からの夢だったんですよ。
夢が叶うってのはまぁ素晴らしい事ですよね。
今はそれが叶って現実になりましたけどね。
旅のブログをいくつか書いた時に「僕は今夢の中にいる」と何度か書きましたけどね、そんなもんは文才をアピールするがための言い回しであって普通にいま現実としてリアルに生きてるだけですね。

まぁでもそもそも夢ってなんなんすかね。
ガキのころから大人達に幾度となく質問されてきましたね。
幼稚園の誕生日会の時でも、「宇高クンの将来の夢は何かな〜?」なんて発表させられるわけですね。
大抵男はサッカー選手、女はお嫁さんかケーキ屋さんてなもんでしょう。
だって何も知らないんやから。
それをあたかも立派な大人の未来予想図みたいに植えつけられるわけですね。
大人達はそんな操られた子供の答えの中に何を見たいんでしょうね。

言ってしまえば、そこで人の価値を決めてるんでしょうね。
大人が子供に対する価値、大人が大人に対する価値、社会が人に対する価値。

なんだかんだ言って、でっかい夢を掲げる奴がまず注目される。
それを叶える為に努力してる奴が評価される。
叶えた奴が認められる。

そんな社会の構造なんてクソ喰らえだと最近思うわけです。

夢を掲げて、それに向かって努力する事はもちろん素晴らしい。
無気力に生きてる奴やそのくせ人の揚げ足ばっか取るような奴らなんて足元にも及ばないほど。

ただ夢の大きさで人を判断するなと言いたい。
そもそも夢の大きさって何?と問いたい。
それは社会が勝手に下す判断基準だろう。
そんなもんで人の価値を判断するなよ。
夢の大きさなんて人それぞれだろう。
あんたにとってはちっぽけな夢でもそいつにとったらもの凄いでかいかもしれない。
社会の基準に呑み込まれるなよ。
自分の基準をしっかり持てよ。

そんな今の僕は最近新しい夢ができました。
日本に帰ってからの事になりますけどね。

美容師なんで、自分の店持ちたいとかあれしたいとかこれしたいとか色々ありますが、そんなもん夢ってわけじゃないですね。

そんなのは夢っていうよりはやるべき事に近いかな。

僕の新しい夢は、毎日朝日で起きてうまい飯食って温かいお風呂に入って夜になったら寝る。言うなればただ日常を生きるってことですね。それを愛する人と愛する家族と共有出来たらいいなってのが夢です。

簡単ですか??簡単でしょ?w
日本じゃ特に。

けどそれが出来ない国は世界でも山ほどあります。

僕は恵まれてるなぁって心底思います。日本人に生まれたことを。

だからこそ見失ってはならないものや事が沢山あるんだと思います。

モノが溢れすぎてるこの消費大国日本で、本当に大切なモノは背伸びしたり、手を伸ばしたりして上や前からたぐり寄せるもんじゃないんじゃないかなと思います。

幸せっていうのはいつでも地に足付けて自分の足元に引っ付いてるもんだと思います。

僕はそれを見失わずに生きたい。

だからこその夢。

そして僕の新しい夢は一日が終わる度に叶うかもしれない。

そしたら毎日幸せでしょう??

奇麗ごとですか??

僕は決して奇麗ごとだとは思いませんけどね。











2015/07/14

追憶を辿る旅〜世界一周2カ国目Indonesia〜

世界一周2カ国目インドネシア。

ワーホリを終えオーストラリアからインドネシアのバリ島に飛んだ。

初めてのバリ。そして初めての海外一人旅。

いわゆるバックパーカーといわれる旅がここからスタートした。

待ちに待ったあの日から17年の月日。

「旅行」というものなら何度も海外には行った事がある。
けれど「旅」というものは、そこに秘めたなにかしらの魔力が僕の心を躍らせてくれるには充分なほどの言葉の響きを持っていた。
まぁほとんどの人にはどうでもいい事かも知れないが。

それでも正直水を得た魚のような心境ではなかったな。

不安と期待。
もうここからは安全が守られている日本という籠の中ではないのだ。
何かあったとき、いや何か無くてもこれからは頼れるのは自分の力量のみなのだと、そしてこれからどうなるのだろうと思ったとき圧倒的に不安の方がでかかった。

そんな心境のなか着いたバリ島は、お香から漂う南国独特の匂いが鼻に纏わり付き湿度が肌で汗に変わるほどの暑さだった。

夜に着いた僕は空港のロビーでとりあえず一服し不安を拭い去った。

それでもボッタクラレる不安を抱きながらタクシーに乗って宿に向かった。

バリは聞いていた以上に繁華街だった。

窓越しに見るクタの町は赤やピンクのネオンに彩られ、クラブから大音量で音が流れ、沢山の欧米人達が行き交い、それに現地の人達が声をかけ賑わっていた。

想像していた南の島のゆったりと流れる時間とは別物の混沌とした町だった。

常に警戒しつつそんな町中を通り過ぎ宿に着いた。

一泊シングルで700円ほどの安宿。
ムゥア〜とした空気に薄汚れたシーツ、鍵のかからないトイレ。
薄暗い裸電球一個に、扇風機が置かれた質素な部屋だった。

これからはこういう安宿に泊まっていかないといけないんだなーと決意を固めて荷物を置いた。

しかしながらオーストラリアではドミでも一泊2000円ほどはしていたからアジアの物価の安さにはほとほと驚く。

お腹がすいていたにも関わらずビビって初夜は遠慮した。

部屋の前のテラスで空腹を紛らわすために煙草をプカプカとさせる。

そのむこうに見える窓からは現地の人の暮らしが伺えた。

上裸の黒くこげた肌の腹の出たおっちゃんがなにやらニヤニヤしている。

あぁこれがバックパッカーの見る景色なんだと思った。

これからバリで2週間どんな事が待っているのか、、、、


次の日から様々な“初体験"が待っていた。

初めて食べる飯を700円とぼったくられた。

バックパッカー旅で初めて日本人の友達が出来た。

現地人の友達ができた。

外人バックパッカーと友達になった。

現地人のお宅訪問した。

バイクを借りてノーヘルでバリ中を走った。

ウサギを食べた。

ヤギを食べた。

他にも色んなことをしたけれど、毎日が新鮮で新しい事の発見だった。

そんな事をしているうちに僕の心が呼吸をしている事に気がついた。

そしていつのまにか不安は消えていた、、、

これが旅の醍醐味なのかもしれない。


毎日同じような勧誘、隙があればボッタクろうとしてくる、それでも心を許せば一緒に飯を食いにいったりタダでバイクに乗せて色んな所に連れてってくれる。
なんとも愛らしいバリの人達に愛着が湧いた。

それに比べプランバナンとボロブドゥールという2大世界遺産があるジョグジャカルタという都会は人もそっけなく空気も薄汚れていた。

それでも優しい人はいるし、その人は今でも気にかけ連絡をくれる。

同じインドネシアなのに、人も空気も文化も宗教も、良い部分も悪い部分も違う。

小さい島国の僕らの国でも違うけれど、海外だからこそその違いがはっきり分かりすんなり入ってきたりする。

深い所までは決して分からないだろう。それでもこれからも僕の頭で心で色んな事を感じ吸収していけたらと思った日々だった。


そして自分自身も過去を振り返り、これからの自分を考えてみた。

僕は小さい頃からの夢の中にいる。けど今はそれが現実になった。

現実は時に悲惨な事も起こる。それが僕にとってはオーストラリアでのアクシデントだった。

それは「離婚」。

夢の世界一周に更に夢を見て、嫁と2人で日本を飛び出した。

様々な喜びも苦悩も共に分かち合って、日本に帰ってからの事まで夢見ていた。

まさかの出来事だったが結果、離婚する事になった。

原因は自分にも相手にももちろんあるが僕は一人で生きる事を決めた。

そして何もかも見失ってしまった僕は一度は日本に帰ろうと思った。

諦めるのには充分な理由だった。

が、やめた。

このまま帰っても何も残らないと思った。

今や世界一周したからって何も凄い事じゃないし、その先に何があるかもわからん。

それでも必ず、僕の人生にとっては“夢を叶えた”という事実は残る。

それだけでいいじゃないか。それだけで素晴らしいじゃないか。

前に進むのにも時間がいる。

それを小さな頃に描いた夢の中で時間を費やしてもいいじゃないか。

それができれば僕は自分の人生を愛せると思った。

そしてそれから先も、愛する人生を生きれると思った。

だから僕は、自分のこれからの人生の為に、親がくれた大事な身体の神が与えてくれた魂の部分に文字を彫った。

『LOVE THE LIFE YOU LIVE」「あなたの生きる人生を愛せ」

「LIVE THE LIFE YOU LOVE」「あなたの愛する人生を生きろ」

自分の人生が語りきれる事の無い日々になると信じて。

そして次の国へ僕はまた進んだ。






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