世界一周2カ国目インドネシア。
ワーホリを終えオーストラリアからインドネシアのバリ島に飛んだ。
初めてのバリ。そして初めての海外一人旅。
いわゆるバックパーカーといわれる旅がここからスタートした。
待ちに待ったあの日から17年の月日。
「旅行」というものなら何度も海外には行った事がある。
けれど「旅」というものは、そこに秘めたなにかしらの魔力が僕の心を躍らせてくれるには充分なほどの言葉の響きを持っていた。
まぁほとんどの人にはどうでもいい事かも知れないが。
それでも正直水を得た魚のような心境ではなかったな。
不安と期待。
もうここからは安全が守られている日本という籠の中ではないのだ。
何かあったとき、いや何か無くてもこれからは頼れるのは自分の力量のみなのだと、そしてこれからどうなるのだろうと思ったとき圧倒的に不安の方がでかかった。
そんな心境のなか着いたバリ島は、お香から漂う南国独特の匂いが鼻に纏わり付き湿度が肌で汗に変わるほどの暑さだった。
夜に着いた僕は空港のロビーでとりあえず一服し不安を拭い去った。
それでもボッタクラレる不安を抱きながらタクシーに乗って宿に向かった。
バリは聞いていた以上に繁華街だった。
窓越しに見るクタの町は赤やピンクのネオンに彩られ、クラブから大音量で音が流れ、沢山の欧米人達が行き交い、それに現地の人達が声をかけ賑わっていた。
想像していた南の島のゆったりと流れる時間とは別物の混沌とした町だった。
常に警戒しつつそんな町中を通り過ぎ宿に着いた。
一泊シングルで700円ほどの安宿。
ムゥア〜とした空気に薄汚れたシーツ、鍵のかからないトイレ。
薄暗い裸電球一個に、扇風機が置かれた質素な部屋だった。
これからはこういう安宿に泊まっていかないといけないんだなーと決意を固めて荷物を置いた。
しかしながらオーストラリアではドミでも一泊2000円ほどはしていたからアジアの物価の安さにはほとほと驚く。
お腹がすいていたにも関わらずビビって初夜は遠慮した。
部屋の前のテラスで空腹を紛らわすために煙草をプカプカとさせる。
そのむこうに見える窓からは現地の人の暮らしが伺えた。
上裸の黒くこげた肌の腹の出たおっちゃんがなにやらニヤニヤしている。
あぁこれがバックパッカーの見る景色なんだと思った。
これからバリで2週間どんな事が待っているのか、、、、
次の日から様々な“初体験"が待っていた。
初めて食べる飯を700円とぼったくられた。
バックパッカー旅で初めて日本人の友達が出来た。
現地人の友達ができた。
外人バックパッカーと友達になった。
現地人のお宅訪問した。
バイクを借りてノーヘルでバリ中を走った。
ウサギを食べた。
ヤギを食べた。
他にも色んなことをしたけれど、毎日が新鮮で新しい事の発見だった。
そんな事をしているうちに僕の心が呼吸をしている事に気がついた。
そしていつのまにか不安は消えていた、、、
これが旅の醍醐味なのかもしれない。
毎日同じような勧誘、隙があればボッタクろうとしてくる、それでも心を許せば一緒に飯を食いにいったりタダでバイクに乗せて色んな所に連れてってくれる。
なんとも愛らしいバリの人達に愛着が湧いた。
それに比べプランバナンとボロブドゥールという2大世界遺産があるジョグジャカルタという都会は人もそっけなく空気も薄汚れていた。
それでも優しい人はいるし、その人は今でも気にかけ連絡をくれる。
同じインドネシアなのに、人も空気も文化も宗教も、良い部分も悪い部分も違う。
小さい島国の僕らの国でも違うけれど、海外だからこそその違いがはっきり分かりすんなり入ってきたりする。
深い所までは決して分からないだろう。それでもこれからも僕の頭で心で色んな事を感じ吸収していけたらと思った日々だった。
そして自分自身も過去を振り返り、これからの自分を考えてみた。
僕は小さい頃からの夢の中にいる。けど今はそれが現実になった。
現実は時に悲惨な事も起こる。それが僕にとってはオーストラリアでのアクシデントだった。
それは「離婚」。
夢の世界一周に更に夢を見て、嫁と2人で日本を飛び出した。
様々な喜びも苦悩も共に分かち合って、日本に帰ってからの事まで夢見ていた。
まさかの出来事だったが結果、離婚する事になった。
原因は自分にも相手にももちろんあるが僕は一人で生きる事を決めた。
そして何もかも見失ってしまった僕は一度は日本に帰ろうと思った。
諦めるのには充分な理由だった。
が、やめた。
このまま帰っても何も残らないと思った。
今や世界一周したからって何も凄い事じゃないし、その先に何があるかもわからん。
それでも必ず、僕の人生にとっては“夢を叶えた”という事実は残る。
それだけでいいじゃないか。それだけで素晴らしいじゃないか。
前に進むのにも時間がいる。
それを小さな頃に描いた夢の中で時間を費やしてもいいじゃないか。
それができれば僕は自分の人生を愛せると思った。
そしてそれから先も、愛する人生を生きれると思った。
だから僕は、自分のこれからの人生の為に、親がくれた大事な身体の神が与えてくれた魂の部分に文字を彫った。
『LOVE THE LIFE YOU LIVE」「あなたの生きる人生を愛せ」
「LIVE THE LIFE YOU LOVE」「あなたの愛する人生を生きろ」
自分の人生が語りきれる事の無い日々になると信じて。
そして次の国へ僕はまた進んだ。
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