突然Facebookを辞めると言って3ヶ月くらいだろうか。
またまた突然やけど、Facebookを再開しようと思う。
結局再開するんやん!と思ってもらっても一向に構わないが会った時はゲンコツをくらわす所存であるから覚悟するように。
理由は簡単である。
パラグアイの民宿小林のお母さんに言われた一言がきっかけ。
「君の幸せは人が運んで来てくれる。」
民宿小林ではお母さんに頼めば姓名判断をしてくれる。
それによると、僕の名前の運勢は小吉らしい。
けどその内容が当たっているから恐ろしい。
どうやら僕は、短気で神経質だそうだ。
そして忍耐力に欠けるらしい。
それは特に人付き合いで発揮される。
気分の浮き沈みが激しく、皆でワイワイ一緒になって騒いでいたと思ったら、突然1人になり自分の殻に閉じこもって他人を寄せ付けなかったりして、周りからは一風変わった人だと思われているのだそう。
悪いけどそれは知っている。
ワイワイとバカみたいに騒ぎやがって!
俺は一人が好きなんだよ!
って思って他人を邪険に扱ったりする時がよくある。
それは全て、激しい気分の浮き沈みに左右されている。
幸せになるためには、短気をやめ忍耐力をつけなければならないらしい。
人がその幸せを運んで来てくれるから。
それがFacebookを再開するのとどう関係があるのか?
まぁここでまずFacebookを辞めた理由をもう一度説明しとこうと思う。
・自分が自分じゃなくなるから。
・無差別に入ってくる情報に精神が耐えられない。
・Facebookに投稿するのにも時間がかかるのに、いったい誰のために旅をしているのかわからなくなった。
・Facebook上のいいね!やコメントという機能が他人と繋がってるという偽物の安心感を与えてくる。
まぁ硬く言えばこんな感じ。
簡単に言えば要するに、他人の意見やそんなもんで自分がブレブレになっちゃうほど茹でた素麺みたいな芯しか持ってなかったってこと。
社会で9年働いて、色んな経験や出逢いを重ね自分の中の芯はもう鍛冶職人が手掛けた日本刀ぐらいに思ってたけどその有様。
そんな中、旅は自分を見つめ直し知るのに良いも悪いも素晴らしい経験をさせてくれる。
だから何よりも自分を知ることから始めようと思ったのである。
そのためにまず自分をブレさす外界の情報を一切遮断するところから始めた。
つまりそれが身近なところでFacebookを辞めるということだったのだ。
今までの出逢いを全て帳消しにしてしまうかもしれない。
けどそれはそんだけのものやったんやろ。と捻くれた僕は思っていた。
大事にしたいのは、自分、目の前の人やモノ、本当の繋がり。
それは自分の全六感を使って得るものだと思っていた。
それは自分の全六感を使って得るものだと思っていた。
そしてまずそこからだと、270度あった視野を90度にした。
そして3ヶ月。
たった3ヶ月だけだと思うかも知れないけれど、その視野で見て経験して考えたものはその期間の長さとは比べ物にならなかったと感じる。
270度の視野で見ていた時、何度も世界は残酷だと思った。
けど90度の視野で見た世界は自分を知るのに充分だった。
それでも今だから思うだけ。
この3ヶ月、途中、出口の見えないトンネルの中にいるような気分になった。
トンネルというより本当に蓋のない真っ暗な底にいるってやつなんだろう。
Facebookを辞める前から不安定だった精神状態が、自分に集中すればするほど僕の黒い部分を露わにし、引き続き蝕んだ。
自分はこんな人間じゃなかった。
もっと明るい人間だった。
なんでも楽しめる人間だった。
そんな事で悩み、大切な人を大切にできなくて八つ当たりする時もあった。
こんな俺といても楽しくないでしょ?と聞いてしまう時もあった。
最終的にはペルーで入院し、もう旅を続ける気力もなくなった。
精神状態が悪い時、何をしても、何をみても、何を食べても感動なんてしないものなのである。
それは世界を旅していて本当につまらないことなのである。
日本に帰りたい。
ただただその思いしか頭をよぎらなくなった。
そして気が付いたら親に、
もう辛すぎるから帰ろうと思う。とメールを送っていた。
この時、親がそれならばと救いの手を差し伸べていたのなら僕は間違いなく帰っていた。
南米や今までの旅の全てを無視して。
そしてもし帰っていたら、世界一周なんて、旅なんてつまらないものだと言うようになったかもしれない。
そこまでにはならなくても、この旅は僕にとって意味のないものだったと思っていたことだろう。
なんてしょうもない人間なんだろうと思う。
けど、親は僕が期待していた通りの返事はくれなかったのである。
「負けるな‼︎」
と、一喝された。
「人はイスラム国のように殺されることはあっても負けるようにはできていない。一度決めて出て行ったこと、病気になること、人と人との出逢い、接し方、その一つ一つが経験やんか。弱気にならず、自分を信じて進まんか!」
と、怒られたのである。
帰って来いと言われると100%思っていた僕は、もうそりゃ目玉が飛び出しましたよ!
救いの手を差し伸べてる子供に、なんてこと言うんや!と。笑
親に相談とか弱音とかをほとんど言った記憶がなかったので知らなかったのですが、
これがうちの親の、子の救い方みたいです。
よく知ってらっしゃる。
そう言われたらやるしかないやろ!
親に弱気な三男坊って思われる訳にはいかんやろ!
何しに世界に出てんねや俺は!
とまぁあとは笑ってしまうほど単純。
けど親のその一言は、僕には神の救いの一言のように暗闇に光を指しのべてくれるものでした。
底から這い上がるのは容易かったです。
そしてそこには僕がまだ感じたことのない世界がありました。
そして自分を知りました。
全てのものを大らかに受け容れる心を持ちました。
その中でブレない自分を手に入れました。
だからこそやっと本当に次の段階に進めるようになりました。
一つ出来てまた一つ。
そういうところは不器用なのかもしれませんが。
僕が自分以外(彼女は自分同様なので省略。まぁその点はまだまだ未熟者ですが、、、)でこれから大事にしていきたいもの、日本に帰ってからやろうと思っていること、
それは人と人との繋がりをつくることです。
コミュニティつくりです。
旅に出る前から、日本で今一番残念なのは人の繋がりがなくなったことだと思っていました。
隣の家の人がどんな人かしらない。
同じマンションでも挨拶もしない。
それ以前に、子供が何をしてどこにいるかもしらない。
僕は日本が戦後、ここまで発展した背景には必ずと言っていいほど人の繋がりの中での助け合いがあったんだとおもってます。
だからこそ、一人では生み出すことのないエネルギーが生まれたんだと。
昔は美容室も小さいながら、おばちゃんたちの社交場として活躍していたのです。
それも立派な繋がりだと思っています。
ヘアサロンのサロンという言葉の語源は、「人が集まる場所」なのです。
何も無いのに自然と人が集まる場所。
そういう場所を作りたい。
いうなれば、美容室としての原点回帰です。
何も無いのに自然と人が集まる場所。
そういう場所を作りたい。
いうなれば、美容室としての原点回帰です。
美容室には老若男女、年齢性別、職種問わずさまざまな人が来てくれます。
僕はそのおかげで様々な話を聞き、経験をしました。
それをそのうち分けてあげたいと思うようになりました。
あなたと違う誰かは全く違う人生を歩み、今もなお違う線路を歩いているけれど、2人とも僕が切っているという事実が2人を繋げるきっかけになれたらいいのになぁ、なんて事を考えるようになりました。
それを無理矢理繋げようとは思いませんが、ごく自然にそれを出来るようにしたいなと思います。
それなのに、やってることと言ってることが矛盾しているなぁと思いました。
まぁ一つずつしか出来ないみたいなのですいません。
昔と違い、今では簡単にSMSなどで人が繋がるようになりました。
本当の繋がりって何なの?と思うようになりそれを受け容れられなくなりました。
けど、大らかに大らかに。
利用できるものは利用しよう。
何より旅で出逢った人達と昔より簡単に連絡が取れる、
今まで出逢った人達とも簡単に連絡がとれる。
要は、そういうものを使う時の己の気持ち次第なんだと思う。
その出逢いを紡いで行くのは結局自分次第だから。
そしてもう無差別な情報という暴力に負けることはない。
だって僕の幸せは人が運んで来てくれるから。
その為に、僕がやるべきことはそう多くない。
その為に、僕がやるべきことはそう多くない。
それをあとはやるだけ。
そんな僕をこれからもよろしくお願いします。
最後に、我慢強く一緒にいてくれた彼女にありがとうと伝えたい。
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