2015/03/12

髪と思い出。(地球髪切記事)

僕は日本で約9年間、美容師として働きました。

何もできない見習い時代。

僕は美容師として生きて行く覚悟はありませんでした。

スタイリスト目前の3年目。

美容師としてのその覚悟が徐々に芽生えはじめました。

そしてスタイリストになり、ガムシャラにもがきました。

店長にもなり、店を任される責任と、背中を見せる意味で様々な事に挑戦しました。

そして毎日、人の髪に触れてきました。

そんな8年目。

やっと気が付いた、いや気付かされた事があります。

髪の毛は“人”だということ。


この旅で様々な場所で沢山の人を切ってきていますが、その時の態度や言葉とは裏腹に、髪に触れる時はいつもその“人”に触れる感覚でやっています。

だからこそ、誰でもいいというわけではないのです。

この旅ではお互いの信頼関係ができた時だけ、鋏を握ります。

握りたくなるのです。

旅で出逢っただけでそもそも信頼関係がうまれるのか?

結論からいうとたった数日では難しいかもしれません。

けれど、旅には不思議な魅力があります。

その壁を越える作用が旅人同士ではあったりするのです。

旅という共通点があるからかもしれない。

海外という事ですこしオープンだからかもしれない。

それに美容師をしてる時にずっと感じていたのが、年代も性別も職業も行き方も違う人と話をすることで自分が成長していく感覚がありました。

旅でも普通に生きていたら会う事がなかった人達と出逢える、それが心の距離を縮める要素になってるような気がします。

旅中に髪の毛を切りたい人はいくらでもいます。

でも海外で切られるのはどうされるかわからないから怖い。

よっぽどの好奇心がある人じゃないとそう思って髪を放置しているみたいです。

なので美容師は旅人にも重宝される存在みたいです。

けどここで考えてみてください。

たまたま出逢った美容師にいきなり髪を切ってもらうのも怖くないですか?

しかも鏡がない場所の方が多い。

そんな時に切りたいからといって自分の一部である髪を触らすのもよっぽどの勇気だと思います。

だからこそ僕自身も切ってもらいたいと思ってもらえる"人"でいたいと思うのです。

それが僕のテーマなのかもしれません。


 


サンティアゴで切らせてもらった、カズマ君。

旅中に偶然会うのは5度目でした。

旅をしていても、予定を合わせることなくここまで会う人は珍しい。

けれどいつも直ぐにどちらかがその町を出てしまうので同じ時間を過ごす事がほぼありませんでした。

そんな彼もいよいよ旅を終え帰国の途につくみたいです。

この時期は西回りで始めた旅人達が続々と帰るのです。

寂しい限りです。

しかももう2日後にはサンティアゴを出る。

そんな彼が、帰国する前に僕に髪を切って欲しいと言ってきてくれました。

カズマ君の旅の締めくくりの一つとして自分が携われるのはとても光栄なことでした。

タイで金髪に染めて、伸びきったその毛先の部分を全部なくしてほしいと。

つまり一年前、彼が旅を始めた時の想い出を切ることを任されたわけです。

そんな重たいものではないのかもしれませんが、、、w

宿を出た前の噴水広場の一角に座り切り始めました。

金髪の部分が彼から離れて行きます。

その金の部分が切られて落ちていくのを見て、カットしている最中ずっと一年前タイで髪を染めてから今までの自分の旅を思い出していました。

と、後から教えてくれました。


それは僕にとってこの上ない悦びの言葉です。

任せてもらえて良かったと心から思える一言でした。
 

切ってもまだ自分の一部として残る髪もあなたならば、

切られて自分の一部じゃなくなる髪もまたあなたなのだと、

僕が切ることでそれを感じてくれたらといつも思います。


カズマ君どうもありがとう。

そしてお返しにと彼が作ってくれたマクラメをくれました。

その日内緒でずっと作ってくれてたみたいです。

今でも毎日ずっとつけています。

これからも大切にします。

ありがとう。

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