2013/06/06

3度目の石巻に行って、、、

大阪を出て15時間。
石巻に来るのはこれで3回目になる。
ふと思った。バスで来たのは失敗したな。
とにかく腰が痛てぇ、、、

石巻の駅前まで、明友館(被災8日目にして支援される側から支援する側へまわった民間の避難所)のリーダー千葉さんが迎えに来てくれた。
一回目の時からお世話になっている。今回も3日間そちらでお手伝いをしたいとの僕の申し出に快く受け入れてくれ、送迎も宿泊場所もカットできる場所も全て手配してくれ、道具さえあれば身一つで行けばいい状態で、本当にお世話になりました。

石巻に着き早速1日目の仮設住宅に向かう。
その車内から街を見ていた。前回訪れてからは約1年半。
見る限りでは、瓦礫の量は減り、津波を受けた直後のまま残された建物も前回ほど見なくなり少しずつ復興しているんだなと感じる。
着くとすでに6人ぐらいの方達が待っていてくれた。
着いたのが2時ぐらいにも関わらず10時から待っていてくれた人もいた。
1日目と3日目をこの場所で切らせてもらう事になった。

千葉さんを初め、その仮説の集会所を管理してる松村さん、その友人の方々が次から次へ紹介してくれ、今回は1人でいっていたので微力ではあったが沢山切らせてもらえた。

けどいつも思う。
コミュニケーションをはかるのは難しい。いや、震災の事を直接こちらから聞く事はできない。いつもと至って変わらない普通のコミュニケーションしかとれない。それでいいと思う。けど、その反面行っているのだからと直接聞き出したいという欲も無くはない。でも無理だ。その場の空気で感じる。本当にデリケートな問題なんだ。
津波で家を失くした人、家族を失った人、 様々な問題がある。その痛みは本当に体験していないものには理解なんて到底できない。理解したいと思えば思うほど怒りを買うかもいれない。
2年2ヶ月の月日が経っていたとしても、人々の心にはその当時のままの記憶として心にいつまでも残っているんだと感じる。
初めて出会う人同士の最初のコミュニケーションの取り方が、
「どこで、被災されたんですか?」なんだから。
そこからの話をしているのを僕は黙って聞くしか無い。
聞けば聞くほど、津波の記憶が昨日の事のように思い起こされていってるみたいだ。
それほどに、津波の恐怖は色褪せていない。

けど、月日が経ったこそ感じる問題もあると千葉さんは教えてくれた。
瓦礫の約70%ぐらいは、他の県にも協力してもらって無くなったけど、津波の避難勧告が出された時の避難経路が震災以前より確保されてないらしい。その為、震災時より渋滞が起こり血気盛んな人達の喧嘩が起こったり。
石巻市は宮城県では第二位の都市。そのせいか、市のトップが前よりいい街にして、仙台に追いつこう!若者を集めよう!前よりいい街にしよう!!なんて意識があるみたいでこれからの街の在り方に問題が生じてるらしい。
人々も、あの恐怖を味わって、1ヶ月以上お風呂に入れなくて、まともなご飯が食べれなくて、電気もなくて、家も家族も失った人もいて、生きてる事が奇跡だ。本当に死んでてもおかしくなかった。本当に運がよかった。天に生かされた。
と、街も人も日本という国ですら本当に大切なモノは何か?本当に大切な事は何か? それを感じたはずなのに、世の中はうまくまわらない。
「本当に難しいのは、ここからなんだよ。」と。


あの時、義援金という形でお金を募金した人も多いだろう。
でも、あの金の行方を知っていますか?
僕も知りません。
けど、被災した人達には直接1円も入っていないそうです。
家が無い人も沢山います。仕事を無くした人も沢山います。
被災後初めて髪を切ったという人もいました。
そのたった5000円で、家族4人が一週間は暮らせるんです。
の割には、当時民主党のホームページ改正に何億円もの復興予算があてられ、観光客増加の為に関東圏内の街の案内看板の英語表記を増やすのに何億円、瓦礫の受け入れを検討しただけの大阪堺市に約80億円。
その他にも、被災地と全く関係のない所で、皆さんが出したお金が使われています。
その事実を本当に考えていますか??本当に知っていますか??
義援金を出した事は素晴らしいです。けどそれだけで満足ですか??
今だに放射能は出ているんですよ?何も変わってないんですよ??
そのことに目を向けないで何が日本人やねん。
民主がダメだったから自民党に入れて、選挙行ったってだけで偉そうに国を思ってる振りだけして。
ここで僕がこんなこと言ったって日本は変わらないし、国民も変わらない、それは文化や歴史として昔から植え付けられたものだから。
それに、偉そうに言って、僕も政治を変えようとは思わない。もし仮に幕末だったら倒幕派だけど。

けど、被災地に行った物として言わせて欲しい。
情報もモノも金も何でもありふれて、本当に大切なモノを見失ってしまってるなら気付いて欲しい。目の前の、ほんの足下でもいい。いつ存在してたか分からない星の光を見て綺麗だと思うなら、たまには足下の小さな蟻が生きる為に一生懸命に自分の倍ある餌を運んでる姿を美しいと思って応援する。それぐらいならできるんじゃないかな?
僕はそれに気付いて生きていきたい。
日本に帰ってくるのは3年後。どうなっているんだろうか。
世界を見て回った後、もう一度東北に行こうと思う。少しでも良くなってることを願う。






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